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ワークライフバランスインタビュー

ワークライフバランスインタビュー

重永 忠さん

「世界一思いやりのある企業に」

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株式会社 生活の木 代表取締役
重永 忠さん

Profile

株式会社 生活の木

1978年以来、ハーブ、アロマテラピー文化を創造し、現在では2,500アイテムの商品開発、「生活の木」「ハンドメイドギルド」など8業態の直営専門店を開発、経営してきた。 現在日本全国に直営店100店、提携店80店を展開。海外は台湾に4店舗展開。原料を40か国から約300品種を直接輸入。スリランカではアーユルヴェーダ-を行うネイチャーホテル「Hotel Tree of life」も経営している。

重永 忠 / 株式会社 生活の木 代表取締役CEO

1961年 東京都渋谷区 原宿表参道に生まれる。
1978年 有限会社 陶光(現 株式会社 生活の木)に従事。
現在 株式会社 生活の木 代表取締役
<その他>TREE OF LIFE (PVT) LTD. 代表取締役(Sri-Lanka)/ TREE OF LIFE TRAVELS (PVT) LTD. 代表取締役(Sri-Lanka)/ 生活之木 有限公司 代表取締役(台湾)/ 商店街振興組合 原宿表参道欅会 専務理事 / 日本アーユルヴェーダ普及協会 代表 / 社団法人 流通問題研究協会 監事 / NPO法人 グリーンバード 副理事長 など

野球少年がハーブに出会ったきっかけ ~自然へのリスペクト~
高橋
今回は重永さんの生い立ちから聞きたいと思います。 どんな男の子だったんですか?
重永
一言でいうと、野球少年。明けても暮れても野球やってるような子供でしたね。
実は、会社のある原宿の辺りが私の地元でして、表参道ヒルズの裏の神宮前小学校に通っていて、当時1学年で3組あったのですが、野球となるとなぜかいつも僕が打順と守備とオーダーを決めていたんです。
高橋
キャプテンというか、学校でも中心的な存在だったのですね。
重永
都合がいいもんで、僕が4番でサードとか取っちゃってました。(笑)
本当に野球が大好きで、小学校1年からずっとやってきました。6年生になり、やっと憧れの神宮外苑の野球場での大会に出れるというところで、大病を患い、最後の目標としていた夏の大会を目前に入院してしまったんですよ。
高橋
どこを患ったんですか。
重永
腎臓です。最初から絶対安静で半年間入院しました。ベッドから出ることもできず、食事もかなり制限され、生活は野球少年のものからがらりと変わってしまいました。 そこで初めての人生の挫折感を味わいました。学校も行けず、出席日数すら足りませんでした。
高橋
辛かったですね。
重永
ええ、校長先生に頼みこんで、何とか6年で卒業はできましたが、その後も中学2年までずっと体育は見学で、絵に描いたような野球少年が全く運動の出来ない状態になってしまって・・・。 でも友達がお見舞いに来てくれたり、手紙を書いてくれたりしたことが入院中すごく励みになって、嬉しかった。
『健康のありがたみ』、『親や友人の思いやり』、そして『人へ感謝すること』。そのときの経験から学んだことなのですが、今の事業にも深く影響していますね。
退院したときには一生治らない病気だって言われたんです、西洋医学の先生から。
高橋
でも今の重永さんを見ていると、とても健康的な印象がありますが・・・。
重永
ええ、偶然母が漢方医を紹介されまして、漢方を服用したら中学2年で完治してしまいました。
高橋
奇跡的ですね!周りの方も驚かれたんじゃないですか?
重永
母も喜んでね。実は「一生治らない」と告知を受けたのは母でしたから・・・。僕は治った後でその事実を知ったんです。
高橋
ええ、ええ。私も母親ですのでお母様の嬉しさは想像に難くありません。
重永
漢方の原料は植物。自然の恵みなんですよね。必然的に私は自然の恵みへのリスペクトを持つようになりました。
ハーブというものに、18歳で出会ったときには、これは・・・!何かあるな、っていう、なんとなくですが「予兆」を感じたんです。
おそらくそういう経験が無ければ「ハーブなんてただの草」で終わってしまっていただろうと思います。

生活の木の誕生

高橋
もともと、ご両親様のおじい様の代からずっと事業をされているとお聞きしたのですが、野球少年だった頃から、ご自分も事業をやりたいなという思いはあったのですか?
重永
「事業をやりたい」というより、父がいっつも楽しそうに商売をやってたので、面白そうだとは感じていました。商材は当時は今とは全く違うもの(陶器)でしたが。
自分らで試み、仕掛け、お客様の感動や笑顔を生み出していながら商売を楽しんでいる父の背中を見てましたので、きっと商いって楽しいんだろうなって子供心に思っていました。たいてい難しい顔をしながらになってしまいがちですよね、商売って。儲からねえよ、とかね。
高橋
活き活きと楽しそうに仕事をされているお父様、そしてその仕事は野球少年の目にも魅力的に映ったのですね。
重永
その後、高校3年のとき始めて商売に携わりました。当時バンドをやってたものですから、いいギターが欲しくなったのが動機でしたね。父に相談したところ、バイトするなら家業が忙しいから手伝え。と。それで瀬戸物の店頭販売を手伝わされました。
高橋
それから実際に、自然の恵みに対して抱いた気持ちを何かにしようをお考えになったのはいつだったんですか?
重永
最初は「なかよし」という少女向け雑誌のある企画で成功しました。
昭和55年くらいのことなのですが、その雑誌にある漫画家、さとうまりこさんっていう方に『憧れ二重唱』っていう漫画を描いてもらったんです。企画として、その漫画の主人公の女の子が必ずポプリ作りをするシーンをいれてもらうようにしました。
その女の子が、恋をしたり、親と喧嘩したり・・・というストーリーに沿って、いろんな思いをこめながらポプリを作るシーンがあり、レシピも掲載していました。また、漫画が終わった次のページに全国の女の子に『自分のオリジナルポプリを作って生活の木に応募しよう!』と、ポプリコンテストという企画を掲載したところ、20万通以上の応募があり大当たりしちゃったんです。
高橋
そのときにはもう生活の木っていう会社は出来ていたんですか?
重永
いえいえ。私は父の会社(有限会社 陶光)で働いていて、そのなかの新しい事業だったんです。 それがきっかけで、事業が成長していきました。
高橋
なるほど。私は最初重永さんにお会いしたときから、重永さん自身、ベンチャースピリッツに溢れていて、商売についても様々でユニークな工夫をされているなと感じていたので、ぜひルーツから聞いてみたかったんです。
重永
何か新しいことを始めたいという「欲」がDNAからはいっているのかもしれませんね。 もちろん、その「欲」を実現させてくれる環境とチャンスを与えてくれた親にはとても感謝しています。

生活の木のビジネスモデル・哲学 ~自然へのリスペクト オール自前主義~

高橋
では、そんなルーツを持つ生活の木のビジネスモデルを教えてください。
重永
まず、生活の木は自らを開発型の企業だと考えています。実際の商品を開発するのに、その順位があり、その中で最も優先されるのが“文化”の開発です。
香りの文化や、自然の恵みを使う文化、手作りの文化など、文化を創ってモノが生まれる土壌を作っているのです。文化も無いのにモノを作ろうとするから、モノが無駄になるんですよね。
次は“こと”を開発します。施術をすることや、感じることと、くつろぐことなど。“こと”の開発の後は、“場”の開発ですね。
高橋
空間ですね。
重永
ええ。コミュニケーションをとる空間です。店舗、ホテル、ハーブサロン、カルチャースクールなどです。
そして最後に、それら“文化”、“こと”、“場”を楽しむための商品を開発するという開発順位をもっています。それが生活の木のプロセスとしてのビジネスモデルです。
また、人工および化学合成ものをなるべく使わない生活を提案していきたい。その考えのもと、世界中から植物を集め、それらを乾燥させドライハーブにしたり、オイルを抽出してエッセンシャルオイルにしたります。これらの素材を使用した商品開発にこだわっています。
社内では『オール自前主義』を唱えています。自分たちで開発した文化に対し、自分たちで売ることを楽しみ運営していこうということです。『オール自前主義』はビジネスモデルというよりは、哲学ですね。
高橋
自然の恵みにリスペクトというメッセージがわかりますよね。

生活の木のCSR活動 ~精油ボトルリサイクル〜

生活の木のCSR活動 ~精油ボトルリサイクル〜

「精油ボトルリサイクル」は、生活の木でお買い求めいただいた使用済みの精油ボトル(10ml)を 「ガラス琴」「ガラス小物」へとリサイクル。

「ガラス琴」はアフリカの小学校へ、「ガラス小物」は精油ボトルの回収にご協力くださったお客さまにプレゼントする活動です。

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