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- 松田公太×高橋ゆき 対談【1】


何事も、やってみないと語ることはできない
- 高橋:
公太さんは、幼少期はアフリカに住まれていたそうですね。- 松田:
- はい、5歳から10歳までアフリカのセネガルに住んでいました。ここは、自分は日本人であるということを意識したスタート地点ですね。そして、10歳でいったん日本に戻り、またすぐアメリカのレキシントンという町に移りました。
- 高橋:
- そうなんですね。公太さんは将来的に起業をされますが、もしかして子どもの頃からビジネスに興味があったんですか?
- 松田:
- 起業しようと考えたのは、セネガルやアメリカで、日本人が生魚を食べるということを友達にからかわれていたからなんです。私の父は漁業関係の仕事をしていたので、日本人の文化と父の仕事、両方バカにされたような気がして悔しかった。だから大人になったら鮨などの日本食を広めて、その良さを世界に広めたいと思っていました。
- 高橋:
- 悔しい、悲しいといった喜怒哀楽の感情は、行動を起こす時の原動力になりますよね。アメリカにはどのくらいいたんですか?
- 松田:
- 高校卒業までです。当時はアメリカの大学への進学も考えていました。でも友達によく「日本はいい国だ」と語っていたのに、自分は日本のことを全然知らない、と気づいたんです。そこで単身、日本に戻ることにしました。
- 高橋:
- 公太さんは、人に何かを語るなら、まず自ら体験してみるべきだと考えていらっしゃるんですね。
- 松田:
- そうですね。やってみないと一人称で語れないと思うんです。2010年に知り合いの衆院議員の方から声をかけていただいて政治の世界に飛び込んだのも、自分がやったこともないのに日本の政治を批判するのはおかしいんじゃないか、と思ったからです。
- 高橋:
- それはステキな考え方ですね。これからの日本を背負っていく若者に、ぜひ伝えたいことです。公太さんは大学卒業後、銀行に就職されていますよね。そこからタリーズコーヒーを日本で展開されたきっかけはなんだったのでしょう。
- 松田:
- 1995年にアメリカを訪れたとき、スペシャリティコーヒーのブームが来ていて、自分でも体験してみたんです。それまで私は、コーヒーをおいしいと思ったことがありませんでした。でも、そこのコーヒーは本当においしくて、びっくりしました。こうした店が日本にあったら、毎日行きたい。じゃあ、自分で出店しようと考え、1997年にタリーズコーヒー1号店を銀座に開いたんです。
- 高橋:
お鮨のときは悲しみや怒りが原動力になっていたけれど、このときはそうした感情を凌駕する感動があったわけですね。- 松田:
- はい、自分が「おいしい!」と思った感動をそのまま伝えたい、いいと思ったものを広めたい、という想いが原動力になりました。
- 高橋:
- 私が家事代行サービスを日本で広めたいと思ったのも、同じです。香港で私の仕事や育児を支えてくれた、スーザンというメイドの存在がすばらしかった。だから、皆にもこの良さを経験してほしいと強く思ったんです。
そして、タリーズを売却されてから参議院議員になられて、昨年ビジネスの世界に戻ってこられたと。 - 松田:
- タリーズの事業は、スペシャリティコーヒー、そしてそれを提供する場を通じてコミュニティをつくることを目的としていました。だから、タリーズは企業の本社内や病院内に多く出店しているんです。根底にあるのは、日本を良くしたい、という想い。参議院議員になったのも同じ動機です。この6年で日本社会の問題や、それをどう解決していけばいいかということを学びました。今後はもう一度民間で、その時学んだノウハウを活かしていきたいと思っています。
- 高橋:
- その力を、ベアーズにも貸していただきたいと思い、社外取締役をお願いしました。ベアーズの社外取締役を引き受けてくださった理由は?
- 松田:
- 社外取締役のお話は、じつは他からもいくつかいただいていたんです。でも、私は引き受けるからには自分が情熱をもって取り組める企業でなければいけない、と考えていました。その観点でいうと、ベアーズはこれからの日本に絶対に必要な事業だと思ったんです。私が見てきた海外の社会事情と比較しても、日本の女性の社会進出はまだまだ遅れています。その要因の一つは家事の負担です。そこを軽減することに直結する家事代行の事業は、非常に意義があると思いました。