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ワークライフバランスインタビュー

ワークライフバランスインタビュー

豪田 トモさん

「うまれることの奇跡、親になることの幸せを伝えたい」

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映画「うまれる」企画・監督
豪田 トモさん

Profile

豪田トモ / 映画監督 / 株式会社インディゴ・フィルムズ 代表取締役社長

1973年、東京都多摩市生まれ。
中央大学法学部を卒業後、コンピューター会社に就職。

営業マン、ウェブプロデューサーとして6年間勤務したが、映画監督になるという長年の夢を実現するため、2002年カナダへ留学。
バンクーバー・フィルム・スクールで映画制作を学ぶ。
卒業制作の短編「Before,After」は、フジテレビ「ショートショート制作部」にて最優秀撮影賞を受賞。
短編2作目の「for the beauty of falling petals」も、カナダの数々の映画祭にて入選。
2006年帰国し、フリーランスの映像クリエイターとして活動を始める。

2007年、(株)インディゴ・フィルムズ設立。
TV、ドキュメンタリー、各種プロモーション映像を制作する傍ら、2008年、ドキュメンタリー映画「うまれる」を製作開始(2010年11月公開)。
妊娠・出産・育児を通じ、命の尊さや家族のつながり、生きることの原点を伝える話題作。
詳細は公式サイトへ→映画「うまれる」公式サイトはこちら

プライベートでは映画公開と同時に1児の父となる。

映画監督を目指すきっかけ
~2本の映画と出合い、紆余曲折を経て辿り着いた夢への道~
高橋
まずは、豪田さんがなぜ映画監督になろうと思われたのか、そのきっかけや、これまでの歩みを聞かせてください。
豪田
映画監督になりたいと思い始めたのは19歳の頃です。
その時浪人生だったのですが、人生をどう歩めばいいのか思い悩んでいて、できれば一生ロマンを持ち続けられる仕事をしたいとは思っていました。
そんな時に1本の映画を観たんです。「7月4日に生まれて」。
ベトナム戦争を題材にした映画なのですが、ストーリーというよりも、主演のトム・クルーズが役作りのために1年間車椅子で生活したというエピソードに衝撃を受けて…。
映画にはそこまでする価値が、つまりロマンがあるんだと感じ、映画監督になりたいと漠然と考えるようになったのです。
高橋
その映画がそもそものきっかけだったのですね。
その後はまっすぐ映画の道に?
豪田
いや、そうではないんです。一応大学に進み、それでも映画の勉強は独学でやっていたのですが、実際に映画監督になる方法が分からなくて、結局、普通に就職することに。
でもやはりダメでしたね。好きではない仕事で、しかも成績を上げなきゃいけないという重圧があって、3年くらい続けたら半ば鬱状態に…。まともに笑えなくなっていました。
そんな時にまた、僕の人生のターニングポイントになった映画「ファイトクラブ」を観ました。主演のブラッド・ピットが強盗をするシーンがあるのですが、銃を突きつけた相手に、「お前の夢はなんだ。その夢に向かって明日から取り組むのならば、生きる価値があるから殺さないでやる」というようなことを言うんです。僕はそれを観たときに、まるで自分が銃を突きつけられているように感じました。その言葉は自分に向けて発せられているんだと。涙が止まらなかったですね。その時です、やはり映画の道に進もうと決意したのは。人生一度きりなんだから、本当にやりたいことをやろうと。その後は留学のためにお金を貯め、3年後の2002年、カナダ・バンクーバーの映画スクールに留学をしました。
高橋
紆余曲折を経て、やっと映画の道に進むことになったのですね。そのカナダの映画スクールでは、どんなことを学んだのですか?
豪田
映画製作に関わるあらゆる基礎です。撮影技法、ストーリーの創り方、サウンド…。授業はかなりハードでした。そのとき僕は29歳で、周りは20歳前後の若者ばかり。
若い仲間たちは、若さゆえにフラフラして真剣さが足りないところも見受けられたのですが、僕の場合はまさに背水の陣で臨んでいたので、とにかく必死でした。
時間を一秒たりとも無駄にしたくなくて、1週間のスケジュールを30分単位で組んで実践したり…。
高橋
かなりストイックにやっていたんですね。
豪田
でもそこまで深く真剣に取り組めて良かったと思います。周りの仲間のなかには、さまざまな事情で夢半ばでスクールを離れなきゃいけない人もいましたから。僕はありがたいことにそういう事情も特になくて。
高橋
それはやはり、何か強い力に導かれていたんじゃないでしょうか。その時の豪田さんは、夢への障害が全部取り払われて、全力で取り組める状況だったということですよね。
豪田
じつはカナダに行く前は、僕はすごく運の悪い男だったんですが、夢を目指すようになってからは、自分でも不思議なくらいにあらゆることがうまくいくようになりました。たとえば、留学を延長したくても生活資金が無くて困っていた時に、偶然飛行機の中で知り合った方がスポンサーになってくれたり(笑)。
「もっと勉強したいんだったら、俺が出してあげるよ」ってポンと。
高橋
ほんとうですか?! 神様みたいな人っているんですね。それで滞在の延長を?
豪田
ええ。運のいいことに、その後もスポンサーになってくれる方が現れて、結局3年半滞在できました。その方は「俺には夢がないから、お前に投影する」と言ってくれて。
高橋
やはり夢を持って輝いている人には、必ず手を差し伸べてくれる人が表れるんですね。じゃあその方々は、今の豪田さんの活躍を心から喜んでいらっしゃるのでは。
豪田
「うまれる」の試写会に来てくれた時には、涙を流して喜んでくれていました。

ドキュメンタリー映画「うまれる」について~“うまれる”ことは最大の奇跡 ~

高橋
そもそも「うまれる」はどうして製作しようと思ったのですか? 発想の起点はどこから?
豪田
産婦人科医の池川明先生の講演を聞いてからです。その方は胎内記憶を提唱されていて…
高橋
胎内記憶って、お腹の中の記憶と、お腹に宿る前の記憶のことですよね?
豪田
ええ、そうです。子供は雲の上から親たちを見ていて、癒すため、助けるために親を選んで生まれてくるというファンタジーな話なんですが、僕はその内容に感動してしまって…。自分も親を選んだのかもしれないと思った時に、人生が逆転したような感じがしたんです。
というのも、僕には親に愛された記憶がなくて、親にずっと反発心を抱いて育ちました。弟が小さい頃から入退院を繰り返していたこともあって、いま考えれば両親の気がそちらにいくのは仕方がなかったのだと思います。でも当時僕は、親の愛がよくわからなかったし、生まれてきた意味もわからなかった。だから親とはずっと微妙な関係でした。 それを親のせいにしてきたけれど、胎内記憶の話を聞いた時に、“自分で選んだのなら自分に責任があるし、今の親子関係は自分のせいかもしれない”と思い、目の前が開けた感覚がありました。だから、“うまれる”という原点に立ったら、何かが見えるのかもしれないと思い、この映画を作ろうと考えたのです。
高橋
「うまれる」を作る過程では、いろいろな方と触れ合い、妊娠・出産など、さまざまな事柄を体感されたと思いますが、自分の中で何か変化はありましたか?
豪田
たくさんありますよ。たとえば親に愛されてないと考えていたことが、間違いだとわかったこと。
この映画で10回くらいの出産に立ち会ったのですが、どの親御さんも感謝と感動と祝福で新しい生命を迎えていた。自分の時もそうだったはずだし、それを考えたら自然に親への感謝が沸いてきましたね。
でも、一番大きな収穫というか、わかったことは、僕は自分が父親になりたかったからこの映画を作ったということ。それまで親といい関係じゃなかったから、親になりたいとは一度も思わなかったけれど、おそらく心のどこかに父親願望を持っていたのでしょう。製作中、いろいろなご家族・ご夫婦と触れ合ううちに、それが明確になってきたのです。実際、撮影中に子供を授かりましたので…不思議なものです。 この映画は僕のそんな願望や興味の表れでもあるので、おもにパパ側の表情や感情の移り変わりも撮っています。一人の男性が、どうやって父親になっていくのかに無意識に興味があったようです。
高橋
たしかに拝見していて、男性側の出産への喜びが強く表現されていると思いました。父親になった時の感動や、男性がどう新たな生命を捉えていくのか。男の人は自分で生むわけじゃないから、親になった実感が沸きにくいとよく聞きますけど、この映画はこれから父親になる男性の道標になるような気がしました。
豪田
そうですね、そう感じてもらえると嬉しいです。

映画『うまれる』

映画『うまれる』
4組の夫婦が登場し、妊娠・出産だけでなく、流産・死産、不妊、障害、「子供が親を選ぶ」という胎内記憶など『うまれる』ということを幅広く捉える事で、出産だけではなく、親子関係やパートナーシップ、男性の役割、そして生きるという事を考え、共感できる映画。現在全国拡大公開中。(2011/02/05現在)

・ 企画・監督・撮影・・・豪田トモ
・ プロデューサー・・・牛山朋子
・ ナレーション・・・つるの剛士

映画『うまれる』 http://www.umareru.jp

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