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ワークライフバランスインタビュー

ワークライフバランスインタビュー

吉田穂波さん

助け、助けられることで「ありがとう」が循環する社会を創る

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国立保健医療科学院 主任研究員
産婦人科医・医学博士・公衆衛生修士
吉田穂波さん

Profile

国立保健医療科学院 主任研究員
産婦人科医・医学博士・公衆衛生修士 吉田穂波さん

日本で医学教育を修了、聖路加国際病院で臨床研修ののち、名古屋大学医系大学院で博士号を取得。成績優秀のため通常より短期で学位を取得した。その後ドイツとイギリスで産婦人科及び総合診療の分野で臨床研修を行い、帰国後は産婦人科医療と総合医療両方の視点を持つ新しいスタイルの医師として女性の健康に特化した女性総合外来の立ち上げに携わった。その後女性の健康ケアや女性医療を向上させるためハーバード公衆衛生大学院に留学し公衆衛生修士号を取得し、同大学院のリサーチフェローとして少子化対策に関する政策研究に取り組む。東日本大震災では産婦人科医として妊産婦や新生児の救護に携わる傍ら、災害時の母子保健対策の必要性を感じ、新しい切り口で行った実践研究の成果を、日本のみならず、国際学術大会や米国の学術誌などで発表してきた。現在、医療保健分野の研究・教育施設である国立保健医療科学院において、研究者の育成、災害時の母子保健システムに関する研究、ボトムアップで政策提言ができる環境作り等に貢献している。また、妊産婦救護トレーニング普及、コミュニティ防災事業における助産師との協働、イギリスやアメリカなど諸外国との共同研究や、災害分野の政策提言、ガイドラインの作成に関わるなど国際的に活躍し、世界の母子保健向上に尽力している。4女1男の母。「『時間がない』から、なんでもできる!」サンマーク出版より全国書店にて発売中!

 

5人の子どもを育てながら、医師として働くということ
高橋
わぁかわいい!この子が5人目のお子さんですか?
吉田
はい、そうです。上4人が女の子で、初めての男の子なんですよ。子どもって、本当にパワーをくれる存在ですよね。自分ひとりだったら何もできなかったと思いますけど、子どもがいたからここまで強くなれました。
高橋
穂波先生はご著書『「時間がない」からなんでもできる!』にも書かれていましたが、3歳、1歳、生後1ヶ月のお子さんを連れて、ハーバード大学大学院に留学された経験をお持ちなんですよね。もう、本当によくがんばる方なんだな、という印象を持っています。
吉田
いえいえ、あのときはとにかく日本で仕事と育児に追われるだけの苦しい状況をなんとかしたくて、やるしかない状況に自分を持っていったんですよね。ハーバードに留学できたのもたまたまです。いくつかの大学を受けたんですけど、受けた半分の大学は落ちてしまったから(笑)。
高橋
それは運命ですね。内科医のご主人も、休職して留学についてきてくれたんですよね。
吉田
本当によかったです。
高橋
私も結婚してから香港に住んだ経験があるんですけど、夫婦で海外に住むと絆が深まりますよね。
吉田
連帯感が生まれましたね。アメリカ留学は、住居や保育園のことなど、さまざまな困難がありました。いろいろな敵と戦ったけれど、その敵も私たち夫婦を結束させてくれる、スパイスのようなものだったのかなと思っています。そして、日本がいかにすばらしい国かということがわかりました。
高橋
留学先で、もう一人お子さんを産まれたんですよね。出産の環境などについてはいかがですか?
吉田
医療そのものや、医療へのアクセスが違いますね。アメリカでは健康保険が高額で、基本的な人権や生命が、お金で売り買いされているように感じました。日本はそのあたりが、公的なサービスでカバーされている。日本にいるときはありがたみに気づきませんでしたが、アメリカでその違いに愕然としました。
高橋
2011年に帰国されて、現在はどういった活動をされているのでしょう。
吉田
帰国後は産婦人科医として働き、東日本大震災のときには被災地支援に向かいました。2012年の4月からは国立保健医療科学院という機関で、災害時に母子を守るシステムについて研究・検証しています。個人としては、女性が楽しく生きられる社会づくりについてお話させていただいたり、個人的なご相談にのったり、復職や再就職のネットワークをご紹介したりしています。
高橋
では今は、臨床の現場からは少し遠ざかっているんですね。
吉田
そうなんです。すごく寂しいです。患者さんを診るという機会がなくなってからしばらくは、アイデンティティ・クライシスにおそわれました。私は医者であるということをすごく誇りに思って生きていたので、患者さんを診られないなんて、翼をもがれた鳥になったように感じたんです。でも、その時点で私には4人の子どもがいて、夫も仕事が忙しい。私が9時~17時の仕事につかないと、誰がこの子たちを育てるのか、という状況だったのも事実です。
高橋
そういう人生のタイミングだったのだと思います。子育てを中心に頑張ることが、仕事や友人関係を育てていくエネルギーにつながると思いますよ。よく「高橋ゆきさんって、いろいろなところでアクティブに活動しているけれど、何がメインなの?」と聞かれることがあるんですね。私はそのとき「お母さんである」ということが、自分のニュートラルポジションなのだと答えるようにしています。
吉田
お母さんであること、ですか。
高橋
どんなに忙しくても、小さなエネルギータンク2つ分は余力を残してあるんですよ。それは、我が子に何かあったときにすっとんでいくための力です。それがなくなるような働き方はしません。私、この春まで朝4時20分に起きてお弁当をつくっていたんですよ。それは大変というより、私を健康にしてくれていることだと思ったんです。もし子どもがいなくて、全部の時間を仕事に費やすことができたら、きっと私、寿命を縮めてると思うんですよね(笑)。
吉田
わかります。本当にそうですよね。
高橋
さて、少しお話が戻りますが、災害時の母子支援というのは、具体的にどういうことを研究されているのでしょうか。
吉田
被災地に足を運んで気づいたのは、災害医療で活躍されているのは、救急外科や外傷関係の医師ばかりで、赤ちゃんや妊婦さんを診る先生があまりにも少ないことです。もともと産婦人科医や小児科医が不足していることも要因のひとつなのですが……。そういった問題を解決するため、いま災害時に母子を守る拠点やシステムをつくるというプロジェクトを進めています。また、妊婦さんが「助けてほしい」と言える環境をつくることも大事だと考えています。避難所をまわっていたときに、最初はどこにも妊婦さんが見つからなかったんですよ。でも、産婦人科医や助産師が来たと告知すると、あちこちに妊婦さんがいることがわかった。
高橋
きっと、ものすごく喜ばれたと思います。穂波先生が希望の光に見えたのではないでしょうか。
吉田
わざわざ自分から妊娠していることを言わないために、気づかれなかったという方が多くいらっしゃったんですよね。たしかに、自分自身も妊娠中に自ら「妊婦です」と手を挙げることってありませんでした。助けが必要だったり、不安だったりしても言えないことが多かったんです。高橋さんはどうでしたか?
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