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ワークライフバランスインタビュー

ワークライフバランスインタビュー

笹川祐子さん

ロボットに負けない! 新しい価値観を創り出せる人になる

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株式会社イマジンプラス
代表取締役社長
笹川祐子さん

Profile

株式会社イマジンプラス 代表取締役社長 笹川祐子さん

1997年創業、2003年設立。セールスプロモーションの総合人材サービス、人材派遣、教育事業を全国展開で経営。売れる販売員、若い人材育成を通して日本の将来を支える、元気な人材輩出企業。2012年教育事業の子会社イマジンネクストを設立、代表取締役に就任。創業20年目、今期はビジネスインテリジェンス事業、セグウェイ事業等新規プロジェクトに着手。
北海道出身。著書には『絶対幸運体質』(電子書籍)。 道産子社長会会長。
趣味は読書、旅行、神社、温泉、囲碁


ひいおじいちゃんのように、幸せな成功をする人になりたい

笹川祐子さん

笹川
じつはイマジンプラスは、きのう創業記念日だったんです。今年で20年目を迎えました。
高橋
そうだったんですね、おめでとうございます! ベアーズは今年で18年目なので、イマジンプラスさんが2年先輩ですね。それでは20周年記念インタビューということで、早速はじめていきましょう。まず笹川さん、お生まれはどちらですか?
笹川
北海道の滝川という町で生まれました。いまの働きぶりからは想像つかないでしょうけれども、幼いころは病弱で、幼稚園も小学校も低学年まではほとんど通えなかったんです。ふせっている時間が長い分、いろんなことを考えました。世の中にはどうしてお金持ちの人とそうでない人がいるんだろう。どうして幸せな人と不幸せな人がいるんだろう。同じ人間に生まれたのに、それぞれの人生はまったく違う。人の運命とは何なのか。自分はどこから来て、どこへ行くのか。小さい頃から思索にふけることが多かったんです。
高橋
よくわかります。私も中学生のとき、そういったことを考えすぎて胃を痛くしていました(笑)。そんな子ども時代は、何になりたかったですか?
笹川
あんまり、何になりたいということは考えていませんでした。というのも、私、ひいおじいちゃんに「この子は身体が弱いから18歳までしか生きられない」と言われていたんですよ。
高橋
ど、どういうことですか?
笹川
私のひいおじいちゃんは、四国から北海道にわたった屯田兵で、自力で土地を開墾し、土地やお金を持った地主のようになっていたんです。私のことを初の玄孫として、とてもかわいがってくれました。そして、そのひいおじいちゃんの言うことはよく当たったんですよ。自分が死ぬ時期も見事に当ててしまったくらいですからね。
高橋
すごいですね!
笹川
「あと1ヶ月で死ぬ」と予言した日の2日くらい前から具合が悪くなって、そのまま亡くなりました。私が6歳の時でした。はじめて死に水を取るという体験をして、それをとてもよく覚えています。そして私について「この子は18歳までもたないと思う。大事に育ててやってくれ」という遺言をのこしたんです。
高橋
それが当たっていたら笹川さんと出会えていませんでしたね(笑)。あらためて、ひいおじいさまはどんな人でしたか?
笹川
当時、ひいおじいちゃんは 周りの人にお金を貸していたんです。ある時、お金を貸していた人が、どうにも首が回らなくなったから夜逃げをすると、その直前に最後の挨拶にやってきたんです。「私たちはもうこの町にいられません。お金を返せなくて本当にすみません」と、泣きながら謝りに来た若夫婦に、ひいおじいちゃんは責めるでもなく、「気をつけてな」とだけ言いました。とても心の器が大きい人だと思いました。ひいおじいちゃんは、この人がいるから悪いことはできない、そういった緊張感を抱かせるところがありました。大家族の長となるリーダーシップ、風格、威厳がある人だったんです。
高橋
ご両親はどういう方ですか。
笹川
母はすごく働き者で、しっかりしています。先見の明があり、教養もある人です。父は、いわゆる田舎のお坊ちゃまですね。すごくいい人、優しい人です。
高橋
笹川さんは お母さまのがんばり屋さんなところと、お父さまの人の良さ。そしてひいおじいさまからは、リーダーシップを受け継がれたんですね。
笹川
そうだったらうれしいですね。そんな私も小学校5年生くらいからだんだんと具合が良くなり、普通に小学校にも通えるようになりました。
高橋
では、いまの笹川社長に近づいてきた、と。
笹川
そうですね。5年生のとき、学級会でみんなの前でハッキリと意見を言ったんです。私はそれまで病弱でおとなしい子だと思われていたので、みんなちょっとびっくりしたみたい。でもそれは、私の本来の性格だったんですよね。明るく元気で、意見をズバっと言う。そのころから自分の素が出せるようになってきました。
高橋
そして高校生の頃は、どうだったんですか?
笹川
夜行列車に乗り、帯広、釧路、網走など道内をひとりで旅行したのがいい思い出ですね。
高橋
ひとりで旅行に行けるなんて、だいぶ体も丈夫になってきたんですね。
笹川
そうですね。大学に入ってからは、より元気になりました。19歳になった時、もうひとつの人生をいただいたような気持ちになったんです。本当は18歳で死ぬはずだったのに、まだ生きている。2度目の人生なのだから、この人生は世のため、人のために使おうと思いました。
高橋
私は二十歳のころ、保母さんになりたいと思ったんです。早く社会に出て自分の力で自分の人生を切り開き、人の面倒をみられる人になりたかった。笹川さんは二十歳のころ、どういう大人になりたいと思っていましたか?
笹川
特定の職業などは思い浮かべていませんでしたが、子どもの頃からの命題であった「どうして同じ人間に生まれてきて、まったく違う人生を歩むのか」ということを、哲学書などを読みながらずっと考えていました。そして自分は、「幸せな成功をする人になりたい」と思ったんです。そうすればひいおじいちゃんのように、周りの人たちに手を貸すことができるからです。大学生になるとその思いはさらに強くなり、幸せな成功をしているようにみえる人に、たくさん話を聞くようになりました。
自分もまわりの人も成功する。願いが叶う、未来日記の書き方とは?
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