わたしの祖母は30歳でわたしの母を産み
わたしの母は30歳でわたしを産んでくれました
そして
わたしは30歳で娘を産みました
あれから20年!いま カナダで暮らす娘の家のリビングで真夜中の12時
久しぶりにこの幸せの備忘録を書いています
娘0〜2歳: 起業をしたせいか子育ての記憶があまりない
気がついたらオムツも外れ前歯が可愛かった
本当に保育園様々です!
娘3〜6歳: 子育てに仕事に(勝手に)完璧主義だったわたしは身体を壊し
パニック障害を発症 入院!
今日と明日をまるでパッチワークのように縫いつなげることが必死な毎日だった
そんな生活に猛省し自分のニュートラルポジションは”I am mother “と決め
我が子を守るために自身の体力気力を鍛錬しようと決心する
娘9歳: ようやく体調を取り戻し娘が9歳の時にオーステラリアに計画的母娘二人旅!
これには目的があった
多感な年頃に入る前に娘に世界を”体感”させてやりたかった
案の定 娘は外国人恐怖症にもならず
逆に世界を感じなから成長したいと海外で勉強することを自ら決め動いた!
15歳: 日本の中学を卒業すると娘はさっさと単身カナダへ留学してしまった
19歳: わたしは娘のカナダの高校卒業式に参列した
しかし4年目にして初めて訪れた場所であった
ここで わたしは 人生の大きな感動と感謝を味わうと同時に
子育てにおいて大きな後悔をすることになった‼️
彼女の暮らしてきた寮のベッドや勉強机 教室 バスケット練習場
娘が4年間がんばって生きてきた”暮らしぶり”をなぜわたしは見てやらなかったのか!?と
取り返しのつかない猛省をしたのだ😓
愛し愛されたたくさんのお友達 お世話になった先生方にも もっと早くお会いしたかった
いや 娘の人生を共に歩んできているつもりになっていたのは
わたしの大きなエゴであることに気がづいた!
すべては聞いただけの話を基に想像の中で成長を感じていた
卒業 進学 入学、、、遠く離れた外国で成長しているのも事実で
その都度の”結果”も分かち合ってきたけど
それよりも “人生のプロセス”を知らないなんて、、、(仕事に必死だったことに決して後悔はしないが)
本当にもったいない時間の使い方をしてしまった😩
そんな娘も二十歳になり 大学に進学し
お友達2人と一軒の小さな家をシェアして暮らしている
もうあの後悔だけは母親である自分にさせてはいけない!
こんな後悔はわたしの代で終わりにしたい!
ということで 思い立ったら吉日^_^
二十歳になった娘が暮らすカナダの家におしかけてやって来た 笑
朝から一緒にキッチンに立ち味噌汁を作り
お茶を飲みながら人生についてあれやこれや深い話に花を咲かせ
大自然の森の中を散歩して 互いに好きなだけ空や草花の写真を撮って
彼女の通う教室も見て 広大なキャンパスを歩き回り
夜は大切なお友達に日本の家庭料理を振る舞い…
そしてまた明日も 娘のベッドで美しい朝の光に包まれ目覚めるであろう、、、
あぁ幸せのため息が止まらない!ココには癖になりそうな幸せの瞬間が溢れている✨✨
これが 本当にわたしがやりたかったこと
時間という名の”命の使い方”は
自分が”選択し行動すれば”必ずデキル‼️
やりたかったことは 「魂が喜ぶ生き方」を
母として二十歳の娘に体現し見せること!だと気がついた
ということで
二十歳の娘に母としてのミッションはほぼほぼ✅コンプリートしたので
さっ わたしはまたTOKYOの熱い時間に自分を戻したいと思う
ちなみに彼女はあと10年経って30歳になる頃に娘を産みたい!と張り切っている
彼女はどんな50歳を迎え
その時二十歳のわたしの孫娘にどんな背中を見せつけて生きる女性になっているだろうか、、、
あっ その頃わたしはまだ80歳かっ❗️ワクワク💓
人生100年時代仕様に自分の人生をReデザインしながらTOKYOにさっさと帰ろう
大人になった娘よ
楽しい素敵な人生を ありがとう
Love letter from your mother 🍁🇨🇦